明日このラオスという国が滅びるとして
自分の命と引き換えにこの国を守ろうとする奴が一体どれだけいるだろう??
昨日、2回目の3ヶ月間のタームが終わった。
生徒さんの中に 警察官として働いているという人がいた。
もしも明日、この国の治安を守るための仕組みになんらかの不具合があって
なにか凶悪犯罪を見落として誰かのなにか掛け替えのない存在が失われたとして
それは自分のせいだろうか
生徒さんの中に ラオス国内某大手国営電話会社に勤める人がいた。
もしも明日 電話やインターネットをつなぐ仕組みになんらかの不具合があってつながらなかったとして
それは自分のせいだろうか。
生徒さんの中に 空港で働いているという人がいた。
もしも明日
なんらかのシステムの不具合で、
飛行機が飛ばなかったとして、
そして
万が一、飛行機が落ちたとして、
それは自分のせいだろうか。
…
そんなことを考えたとき
まだまだ、自分の技術的な努力が足りないと実感した。
…
もっと腹をくくって、この国の今とこれからを支えるべき技術向上に貢献すべき努力がまだまだ足りない。
…
自分はまだこのラオスという国にとって、世界にとってまだまだ無力な存在だ。
…
授業実施日数:39日
総授業時間数:152時間
総授業時間数:152時間
…
これだけの時間を費やして、結局そんなことに気づくしかなかった。
…
自分は無力でまだ何も成し遂げてはいない。
50周年だなんだっていって、浮かれてるけど、それは本当は喜ぶべきことではなく、半世紀もの長い間他国の援助によってしか生き延びる術を得られなかったという現実の表れでしかないのではないか。
相互理解だ友好だなんだといって一緒に酒飲んだり、遊びに興じるのもいいけど。
しかしそれ以上に
もっとこの国が少しでも発展するために、自分のすべきことだけに命をかけてそれだけに一生懸命な奴がいてもいいんじゃないか。
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